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ユース ホステル で 歌う 歌 10

コメントありがとうございます。 舟橋さんは名古屋出身で就職して東京へ。定年後名古屋へ戻って2年前に沖縄へ移住されたと聞いています。一方、山名さんは一貫して名古屋で音楽活動をしてきました。

「サイクル野郎」はもちろん、西岸良平さんの「三丁目の夕日」のなかの「ユースホステル」、 「ユースホステルの歌」ってやつで、後にも先にも 沖縄にいらっしゃるのですか。もともとはどちらの方だったでしょうか?, (数分おきに頂いたものと同じコメントが3通ありましたので、あとの2つは削除しました。何かのバグか誤動作だと思います。), 「旅の終り」を作った舟橋俊久さん。最初にレコーディングした山名敏晴さん。お二人とも昭和26年(1951)の早生まれで、69歳です。(なぜか私もです) この曲を聴くと彼が若き頃にギターを弾いて歌っていた姿(私は見ていませんが)が目に浮かぶようです。, 名曲というのは必ずしも世間の多くの人に認知されるものばかりではありませんが、やはり名曲は名曲。 ユースホステル(yh)では夜、ミーティングという集まりをして宿泊者全員で歌を歌ったり、踊ったりバカ騒ぎをすることがあります。(最近は激減しましたが) そして昔から伝統的に歌い継がれている【名曲】が多くあるのです。 ユースホステル(以下、YH)は近年数も大幅に減り、利用者も減りと寂しい限りの減少を続けてきましたが、特に若い方には一生忘れられない、あるいは人生を変えてしまうほどの経験を与えてくれる素晴らしい宿でもあるのです。, 事実私は東京で生まれ育ち、横浜に長いこと住んで札幌に家族共々移住したのはYHでの旅の経験があったからなのです。, YHでは夕食後(大体20時頃から)ミーティングという集まりがあります。 でも懲りないんですね。, YHで歌われた歌は、たとえば元がフォークの大御所とかでない限り一般には絶対にヒットしないと思います。, YHやYHのミーティングを知らない人からすれば、YHで歌われた歌は所詮、「大昔のフォークソング」や「童謡の延長線上の曲」にしか感じないと思います。, 1年ぶりです。「旅の終り」の作者「舟橋俊久」さんを検索したら、ご本人のFBを発見しました。舟橋さんは名古屋大学を卒業したあと明電舎に入社し、電気工学の分野で活躍されました。その後名大を経て2018年に沖縄に移住し、琉球大学で教鞭をとっていらっしゃるようです。ある意味、舟橋さんの「旅の終り」なのかもしれません。, そうでしたね、舟橋俊久さんですね。

ところで山名敏晴さんが「旅の終り」を北海道で伝えた若者はベーシストのT・S君。彼が昭和46年に白老YHに出入りしていたことが確認できれば、伝播のルートが確定します。, 旅の終り、はいろいろあったようですが、それだけ多くの人の目に耳に触れた結果育てられた名曲なのでしょう。, このような曲はおおっぴらになってほしくないです。 ときどきネットオークションに山名さんのLP「ソングブルース/ワンピース」が出品されています。「旅の終り」をギター1本で歌った、いわばオリジナル盤です。なおCDは「すがはらやすのり」さんのものしかありません。, 舟橋さんもうそのようなお年なんですね。 amazon_ad_tag = "kaiko76amasc6-22"; amazon_ad_width = "160"; amazon_ad_height = "600"; amazon_ad_logo = "hide"; amazon_ad_link_target = "new";//-->.

東京で生まれ育ち、横浜市に長いこと住み、現在は北海道のある都市におります。 途中や最後の方は歌詞を変えてしまったり、「これはいいだろ!」みたいな押し付け感が強くて1度聞いただけで虫唾が走りました。, このような手法は今でもありますが、2匹目のドジョウは皆失敗していますね。 私が初めて北海道を旅してこの曲を覚えたのが今から44年前の1976年ですから50年は当然の事なのですね。, YHで歌われる歌というのは時代を超えて口伝えで伝わって来ていますし、これからもそれは変わらない事でしょう。, でもYHで歌われてYHと無関係の舞台に出て来た曲は「旅の終わり」含めて殆どありません。

近くの観光案内、所有の自転車・カヌーの応募者募ったりした後に、 世界最大のホステルネットワーク「ユースホステル」世界をユースホステルで旅しよう!ユースホステルは70以上の国と地域にある3500ヶ所の施設が皆様のご利用をお待ちしています。 あっという間に全国のYHに広がったと言われています。 けっこう楽しかったですよ。あの時の歌唱集、何処にいっちまったもんだか… (もちろんないところもある), ここではスタッフから(ヘルパーと言う)翌朝の説明、近隣の観光案内、交通の案内(バスや電車の時刻など)などのあとに皆で歌を歌ったり踊ったり、バカ騒ぎをしたりします。, YHによって内容や程度は大きく異なり、静かに話をしてお茶を飲んで終わりもあれば真っ暗な外で騒いで踊ったりもあったりします。, しかし近年ミーティングで歌を歌ったりバカ騒ぎをするYHは激減してしまい、ミーティングそのものもないYHが増えたようです。, 時代の流れであり、人の嗜好の変化ですので否定もしませんし、当然のことと受け止めます。, しかし私はYHのバカ騒ぎ全盛時代を経験して、一番得たものは「多くの素晴らしい歌との出会い」でした。, YHで歌った歌と言うのはあくまでも私が泊まりまくっていた1970年代半ば~1990年ごろまでのYH全盛~YH下火時代のことです。, もちろん2018年現在も歌って騒いでというYHもあることにはあるようです。 どういう雰囲気・テンションなのかわかりませんが もう50代にもなる妻子持ちのクソ親父であります。 なお当日の模様の一部は、白老YHのFB上に動画があるようです。, いら かおる 様 根田成一さんの名曲です。 けっこうでかい声で歌えるもんだと、はじめっちやゆたかは言います。 ・・・「ユースホステルの歌」ってばむずかしいのっすゆたか, あたしはそういったミーティングの場に立ち会ったことはないので、 特に気持ちが落ち込んだ時は私を勇気付けてくれる良き親友であります。, 自分が入会したのは1986年2月なので、そのころは歌い踊るミーティングはほぼなかったです。

あっという間に北海道から沖縄まで伝わる感じです。, でも今はYH会員人口自体が激減していますし、泊まる人も昔のようなホステラーはほとんどいないでしょうから今のYHは「口コミで情報が伝わる」というのはあまりないでしょう。, 青木清さんは1977年8月に美幌YHでお会いしましたが、私より年上とはいえ、とても素敵なお兄さんで彼の生歌声は今でも鮮明に覚えています。, 青木 清さんは、その後シャンソンの世界に転身し、現在は「青木裕史(ひろし)」の芸名で活躍しています。, 青木さんは今はシャンソンなのですか。 YHがらみであるイベントというのは大変貴重ではないでしょうか?, ところで「いら かおる 様」は横浜在住なのですね。 グループの談話なんかに入っていきましたが、ほぼ100%の出席率だったと思います。

ギターのアルペジオコードから始まる美しい前奏、「夏の山に香る・・」と歌いだしてオンネトーと旅人を結びつけた美しいフレーズ、本当に心が洗われる曲です。, この曲もレコード化されましたしYouTubeにもあるようです。 宿泊したYHで唯一本格的だったのは、88年の「浜頓別」で、

ヘルパー3人ががギター・タンバリンなどのパーカスもって、 (adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({}); Copyright (C) 2020 懐古趣味で何が悪い! All Rights Reserved.

日本の潜伏地で公安に絶対バレないところが、 6年前の2013年1月26日、名古屋のライブハウスで、「旅の終り」と銘打った山名さんの小さなコンサートが開かれました。前年秋の朝日新聞の特集記事をきっかけに開催したものです。

(adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({}); この曲は確か北海道の礼文島で泊まった人(ヘルパー?)が作った歌で、旅人の心を捉えて離さない名曲中の名曲です。

朝、朝食の準備ができたときに流れた曲が、 他のYHでは私が知る限り聞いたことはなく、またなぜ釧路まきばでよく歌われたのかは分かりません。, フレーズの主な部分は以下ですので、ぜひYouTubeなどを検索して聞いてみてください。, ●哀しみのバラード ・・・Meetingの補助品らしいのだつるみんお菓子は一人で食べることが多いのだ, はじめっち&ゆたか&みならいかのん&つるみん様

北海道の阿寒湖から南西方向の山中にある美しい佇まいの湖・オンネトーを歌った歌です。 これはオンネトーから4km手前の野中温泉YH(廃YH)にいたヘルパーが作ったと言われています。, 私も初めて北海道を訪れた時から数え切れないほど野中温泉YHに泊まっていますが、やはり最初の1泊目でこの歌を「叩き込まれ」ました。 どこの誰が作ったのかはわかりません。でも利尻島の「オシドマリYH」に泊まった時に「覚えろ!覚えないと帰さない!」みたいな感じで覚えさせられました。, 今時「覚えるまで帰さない」なんて行ったら「パワハラ」、「虐待」、「人権侵害」と散々なことになりますが、昔のYHではこういう言い方も今で言う「お笑い」だったのです。, 特に連泊者は船で稚内に戻る人のお見送り、稚内からやってくる人のお迎えが日課だったのでこの歌を覚えることが必要でした。 その後52年にレコードが競作となりますが、芹 洋子さんと菅原やすのりさんは歌詞を一部手直ししており、ユースバージョンは青木 清さん、オリジナルは山名敏晴さんと考えて、聞き比べるのもいいのではないでしょうか。, いら かおる様 んでもって、ゆたかとはじめっちは酒とかお茶っ葉とか、コーヒーメーカーを 横浜在住の私も参加し、初めて生でオリジナル版を聞きました。会場には白老YHのOB・OGのグループも、そろいのTシャツで駆け付け、懐かしい青春の歌に盛り上がっていました。 コメントありがとうございます。 そんなイベントあったんですね。 ・・・塩狩YHは主にゲームでしたはじめっち, むかし、「小平町望洋台YH」ってとこがあって、 これからも静かに歌い継がれていくとは思いますが、一つの区切りとして、スポットライトを当てたいという思いがあることも否めません。どこかで「”旅の終り”の50年」のような特集が組まれれば・・などと考えてしまいます。, そうですか、50年とは。

船に乗って見送られる方はこの歌を歌って踊りながら見送ってくれる人たちを見ると全員知らない人であってもなぜか目頭が熱くなった. YHが大きく下火になってしまい、今後も持ち返すとは思えませんが、これらの曲はどこかで少しでも歌い続けてもらいたいと思います。, 名古屋大学の学生だった舟橋俊久さんが北海道旅行し、その思い出を「旅の終り」という曲にまとめたのが昭和45年(1970)のことでした。つまり「旅の終り」は2020年の今年、生まれて50年を迎えたことになります。 ここでしか聞いたことのないレアものだったのっす。 ここでは、YH普及活動に一役買ってか、YHを題材にした漫画本が置いてあって、

色々と思う事が多くなる年齢、このサイトで「懐かしい街と物」をお楽しみ頂ければ幸いでございます。,

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